阿蘇の縄文時代

阿蘇人の縄文時代

縄文時代の遺跡(いせき)の分布

縄文時代、阿蘇人はどこで生活していたのだろう?

*豆知識

遺跡(いせき) むかしの人々が作ったものや使ったものがうまっている場所のこと
発掘調査(はっくつちょうさ) 遺跡を掘って調べること
遺構(いこう) むかしの人々が掘った穴の跡のこと(建物・柱の穴・墓の跡)
遺物(いぶつ) 遺跡で出土した人々の生活を知る手がかりになるもの

7.二本松(にほんまつ)遺跡(いせき)(阿蘇市旧阿蘇町) 3-1-16

調査場所:

北外輪山縁

わかった時代:

縄文時代後期前半、弥生時代中~後期、古墳時代にかけての複合遺跡。

遺物:

押型文土器・南福寺・出水・西平・鐘ヶ崎・天城式土器(縄文土器の型式)・石(せき)鏃(ぞく)(矢じり)・石(せき)斧(ふ)(石のおの)・擦(す)り石(木の実などをすりつぶす道具)などが散布。

遺跡特色:

昭和20年代の開墾(かいこん)(により大部分が消滅。

 

8.河陽(かわよう)F遺跡(南阿蘇村旧長陽村)3-1-03

調査のきっかけ:

立野ダム建設事業における沢津野土捨場進入路建設にともなう調査

わかった時代:

縄文時代~古墳時代

遺構:

集石炉(しゅうせきろ)(穴に石がしき詰められた状態で蒸し焼き調理をした跡のこと)、落し穴、土坑(どこう)

竪穴(たてあな)住居(じゅうきょ)(地面をほり下げて床をつくり屋根をかぶせたたてもののこと)、

集落跡(複数の住まいと生活に必要な住まい以外の建物があり、ある一定期間、生活していたことが分かるような場所)

遺物:

細石刃(さいせきじん)(木や骨、角などで作ったやりの柄の両側に溝をほり、そこに並べてはめこんだ道具)、スクレイパー(ナイフ)、

爪形文土器・無文土器(縄文土器の形式)

出土状況:集石炉 出土遺物:爪型文土器片

参考:岡本真也.河陽F遺跡 国土交通省立野ダム建設事業における沢津野土捨場進入路建設に伴う埋蔵文化財発掘調査.2003.熊本県教育委員会

 

9.柏木谷(かやのきだに)遺跡(南阿蘇村旧久木野村)3-1-04

調査のきっかけ:

県営圃場(ほじょう)整備事業久石地区にともなう調査

わかった時代:

縄文時代~古墳時代

遺構:

竪穴(たてあな)住居(じゅうきょ)(墳墓の下層より住居跡を検出)

遺物:

撚糸文(よりいともん)土器・轟式(とどろきしき)土器(縄文土器の型式)、

石匙(いしさじ)(ナイフ形打製石器、つまみの部分に

紐などをかけて腰などに下げていた)、

石鏃(せきぞく)(矢じり)  

遺跡の特色:

 

縄文時代から弥生時代にかけては集落域として展開、弥生時代から古墳時代になるにつれて墓域(お墓エリア)へと移っていった。

出土遺物:縄文土器  出土遺物:縄文土器片、石匙、石鏃

参考:江本直.柏木谷遺跡 県営圃場整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告.1993.熊本県教育委員会.

 

10.扇ノ坂(おうぎのさか)遺跡(南阿蘇村旧久木野村)3-1-22

調査内容:

県道熊本高森線道路整備工事にともなう調査

わかった時代:

旧石器時代

遺構:

集(しゅう)石(せき)遺構(いこう)(石を並べて加熱し肉などを焼いた調理施設のこと)

遺物:

押型文土器(縄文土器の型式)、ナイフ形石器、石鏃(矢じり)、磨(すり)石(いし)(木の実や根茎類

植物を粉にしたり砕いたり磨りつぶしたりするための道具)、石皿(木の実などを磨りつぶしたりするために使っていた道具)

出土状況:集石遺構  出土遺物:磨石、石皿

参考:坂口圭太郎 河野真理子 古城史雄.扇ノ坂A遺跡・堂迫平遺跡 主要地方道熊本高森線単県幹線道路整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査・国道266号線特殊改良1種事業に伴う埋蔵文化財発掘調査.2001.熊本県教育委員会.

 

11.桑鶴土橋(くわつるどばし)遺跡(西原村)3-1-19

調査場所:

外輪山の外縁俵山西麓の緩斜面上を流れる鳥子河の流域にあり、標高約230mの舌状台地上に位置

わかった時代:

縄文時代

遺構:

集石をともなう炉(ろ)跡(あと)

遺物:

押型文・轟式・曽畑式土器(縄文土器の型式)

 

縄文時代全体の参考:

  • 宮本利邦.阿蘇郡における考古学研究の到達点.肥後考古 第23号 肥後考古学会創立90周年記念特集(2).2024.肥後考古学会.引用
  • 特定非営利活動法人むきばんだ応援団.“全国子ども考古学教室”.