保木下井手
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保木下井手 | 片山松翁(かたやましょうおう)之碑 |
『南阿蘇村疎水群(そすいぐん)』は、江戸時代(1667年)に、肥後細川藩から南郷中用水方定役に任ぜられた片山嘉左衛門によって開削された、久木野地区「保木下井出」(約5000m)にその端を発しています。
嘉左衛門は、その後27年間に渡り献身的にその半生を水利事業にささげ、その後四代にわたり片山家が南郷の水利事業にかかわって計6本の疎水群が開削されました。
現在『南阿蘇村疎水群』は、農林水産省の「疎水百選」(日本の農業を支えてきた代表的な用水)に選定されています。(熊本県内では、上井手用水、南阿蘇村疎水群、通潤用水、幸野溝・百太郎溝の4つの用水が選定されています)
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対岸に立つ測量起点の碑 | 嘉左衛門が考案した“斤量式測定法”の解説版 |
保木下井手の起点は標高434m、取水口の標高は438mです。井出の長さ約5000mに対して、高度差はわずか4mしかありません。工事で傾きをまちがえると水は流れません。嘉左衛門は独自に“斤量式測定法”を考案し、8年がかりで難工事をやり遂げました。
*豆知識
井手とは?
農業をおこなうためには、水が必要です。ずっと昔は、水を簡単に確保できるところで農業がおこなわれていました。生活をより豊かにするために、遠くから水を引いてくる水路を「用水路」、すこし昔は「疎水」と呼んでいました。この水路のことを、熊本県(肥後の国)では、歴史的に「井手」と呼ばれてきました。すぐれた土木工事の技術を持っていた加藤清正公以来の伝統が伝えられています。