3-2-03 道しるべ(寺坂水源)

寺坂水源に立つ“道しるべ

甲斐有雄(かいありお)は、文政12年(1829年)、熊本県の阿蘇郡野尻村(今の高森町)に生まれました。

そのころの野尻村は旅人の行き来が多く、栄えた村でしたが、広い草原には村々を繋ぐ道がいくつも通っていて、旅に慣れた人でも道に迷い、そのまま行き倒れてしまう人もいました。

彼は、誰に頼まれたわけでもないのに仕事の合間を縫っては道しるべを作り、村の四つ角や迷いやすい分かれ道に立てていきました。有雄が刻んだ道しるべは、野尻村だけでなく、近くの村や町、宮崎県や大分県にも立てられ、明治42年に80歳で亡くなるまでの48年間にその数は1824にもなりました。

湧沢津水源と道しるべ

水源は旅人にとって大切な水場でした。道は水源に沿って作られ、そこには有雄の道しるべが立っています。

南阿蘇村歴史民俗資料館にある道しるべ

右は実物、左は拓本(たくほん)です。