3-2-04 監物井手(けんもついで)

監物井手

赤瀬に残る監物井手の跡 現在の用水路(熊本地震後復旧)

「立野井手(堅物井手)」阿蘇立野火口瀬一帯の灌漑のため、黒川の水を赤瀬堰(南阿蘇村)から導いた4キロメートルに及ぶ水利施設。万治元年(1658)、細川班の家老「長岡監物(ながおかけんもつ)」の指導と助力によって行われたので「監物井手」という。当時、立野は屯田集落の機能をもって開発、井手の開削により52㌶の水田が開かれ、入植に大きな貢献をしました。