3-2-06 立野スイッチバック

立野スイッチバック

スイッチバックってなんだろう?

地図の線路をよく見てみよう。立野駅の案内板だよ。

列車は、瀬田駅から立野駅に到着すると、線路のポイントを切り替えて逆方向に転向点に向かいます。転向点に到着すると、線路のポイントを切り替えて、また進行方向をかえて赤水方向に向かいます。これがスイッチバックです。

なぜこんな面倒なことをしたのでしょうか?

熊本から阿蘇を通り、大分までの九州を横断する鉄道を建設するためには、立野の急こう配が大きな壁となっていました。当時の蒸気機関車では、傾斜が 33.3 パーミル(1000 m 走る時に高さが33.3 m高くなる)よりも小さく抑える必要がありました。しかし、立野の勾配は、60 パーミルを越えていました。

この困難を克服するために、先人は、スイッチバックという技術を使ったのです。

標高170mの瀬田駅から標高277mの立野駅まで急勾配を登ります。そこからさらに標高465mの赤水駅まで標高差約190mをスイッチバックで登ります。立野駅に到着した列車は進行方向を変えて途中の転向線まで登り、そこで再度進行方向を変えて赤水駅まで登ります。
三段式(Z型)スイッチバックとしては日本最大。阿蘇カルデラの切れ目は壮大な渓谷美を誇ります。(スイッチバックの案内看板より)

昭和46年当時の立野スイッチバック

瀬田~赤水間の最大傾斜角は33.3‰(千分の33.3)。鉄道の傾斜としては限界に近い角度です。蒸気機関車が活躍していた時代には、後方にもう一台機関車を付けて、2機の機関車で登っていました

 

もっと詳しく知りたい人のページ

1.江戸時代の人の動きはどうだったのだろう?

江戸時代は、肥後大津から二重峠を越えて内牧に行く経路だった。

 

2.大正時代以降の開拓

スイッチバックを入れることで豊肥本線が開通した。

 

3.立野の困難克服の歴史